「花」に縁がある一日

「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」

なぜか、ひょいっと頭の中から出てきた「小野小町」の歌。
「古今和歌集」の中にあるこの歌、一度は古文の授業や、または百人一首で読んだことがあるのでは?
どうして、ふと、この歌がでてきたのだろうか・・・・

今日は、新宿の紀伊國屋書店に出掛けた後、裏手にある花園神社に参拝しました。
新宿は、東京でもコロナ感染に伴う自粛に最も注意喚起をしている繁華街なので、2か月間は足を遠ざけていました。
やっと自粛緩和となったところで、大好きな本屋さんへ行くことができる様になりました。

やっぱり、ネットよりリアル本屋さんは良い!
あの本の匂い、空間、目に飛び込む様々な「タイトル」。
あらゆる知識が集結した場の雰囲気、豊かさを最高に味わえる場所です。

その中にいるだけで、無意識的に知識が脳に流れ込む感覚がたまりません!

2万円分の書籍を直観で買ってしまいました。
目的の1冊の他は、ほぼペラペラと捲って、腕の中・・・

町を歩きながら・・・
「コロナウィルスは、この2か月間、私に何を伝えたかったのか?」
そんなことを、ボヤッと考えていました。

「恐怖」とか「不安」ってなんだろう?
自粛生活に入る前は、あまりネガティブな感覚はなかったのに、なぜに今、自分が慎重になっているのか?
元々神経質ではないのに、マスクに人との距離…意識するようになったのはなぜ?
自分自身に向き合って問うてみると、「平気」という感覚がある・・・。
しかし、今までになかった感覚、「変な情報」が入力されていることにも気づく。
これって社会の「マインドコントロール」なのかしら?とね。

自己を軸を見失ってはいけない。そんなことを感じています。

自分のFacebookのコメントに、花園神社の写真と共にこんな事を書きました・・・
「日常が誠なのか、非日常が誠なのか?
このパラレルな毎日を過ごす日々で気づいたことはたくさん。いずれにせよ、元気に明るくいれることに感謝したい」


そして、ふと浮かんだ、
「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」
たぶん・・・
この歌は、自分の中の無意識の中で感じていることを表しているのではないか・・・と。

この歌は、小野小町が老いていく我が身のはかなさ、の心を表したもの、と解釈されています。

しかし他にもリフレームすれば、もっと色々な解釈はできます。
この歌は「無常観」な趣で捉えられているけれど、本当はポジティブなマインドの要素があるのではないかなぁと感じます。
その悲哀染みた歌の内側にある心中、色々と考えてみるのも楽しいですね。

今日のおみくじに、素晴らしい「教えが」ありました。

人間は自然の一部として生きている。
自然破壊は人間の破壊となる。

なんと、このタイミングでこの言葉に出会いました。

驕り(エゴ)を捨て、ありのままに、ありのままを受け入れて、
本質に目を向けて明るく元気に生きたいものです。

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